元モラハラ加害者の修行日記|40年来の友人との会話で気づいたこと
今回の「元モラハラ加害者の修行日記」は、40年来の友人との会話で気づいたことを書いていく。
このシリーズは、私の脳内を可能な限り言語化し、モラハラ加害者やASD・ADHDのパートナーを持つ人、または当事者自身の理解に役立てていただければというコンセプトだ。
ただ、最近はネタになりそうなものを思いつくまま書いているというのが本音である。
私はASDとADHDの混合型で診断済みの元モラハラ加害者であり、現在は相談員(カウンセラー)としてモラハラ解決の仕事をしている。
年に一回、初詣と称して12時間ほど一緒に過ごす友人がいる。
今では私の唯一の友人だ。
最近、彼との会話に違和感を感じるようになった。
「マウント?」「嫌味?」「受動攻撃?」モラハラの専門家として、彼の言動にザワザワする。
ただ、以前の私は全く気づかなかった。
なぜ今は気づくのか。
それは私の変容プロセスでもある。
いかにも同窓会的で、あるある的なエピソードとして語ってはいるが、彼の奇行も、私の家族も、私自身も、初めて聞くようなエピソードばかりだと思う。
登場人物は私含めて全員、変人でサイコパスだ。
私の生い立ちや両親の話、友人の話を妻や会社の人にすると、誰にも共感されず、ドン引きされるばかりだ。
ないないエピソードとして、楽しんでいただけたらと思う。
もくじ
- 彼はこういう人だ
- 彼の奇行集
- 私の家族
- 彼の会話がつまらない
- デリカシーのない発言
- 梯子外しとサイコパスエピソード
- 彼の会話を分析してみた
- 私なりの反撃
- 彼の発言は若い頃は許せたが
- でも一番社会から外れているのは私かも
- まとめ
彼はこういう人だ
彼とは小中学校が同じだが、初めて会話をしたのは高校生の時だ。
35年の付き合いになる。
彼は独身で婚姻歴はなく、両親も健在のため実家暮らしである。
介護や家事などはしている様子はない。恋愛話は一度も聞いたことがない。
人と関わるのが面倒なので、結婚や恋愛に全く興味はないとのこと。
親のコネで誰もが知っている大企業の工場勤務であり、おひとり様を満喫している。
彼の奇行集
この35年間、誘うのは必ず私からで、彼から誘ってきたことは一度もない。
ただ、誘ったら必ず来る。
周りの友人たちからは「愛人」と呼ばれている。
本人の前ではもちろん言わない。
まだ携帯電話を持っていない1995年、20歳の時、彼の家のインターホンを押すと、彼の母から衝撃的な一言を言われた。
「うちの子は昨日、イギリスに留学した。あと3年は帰ってこないよ」そんな話は全く聞いていなかった。
私は呆気に取られた。
3年後、彼の親戚と共に空港に迎えに行ったが、彼は「イギリスとフランスに行ってきたわ」とだけ言った。
その飄々とした無機質な姿が怖かったため、23歳の私は何も言えなかった。
3年間の語学留学だったが、外国語は全く話せないらしい。TOEICなども持っていない。
彼が合コンで一度だけハメを外したことがある。
みんなが敬遠する我の強い女の子と意気投合した。
二次会のカラオケ店で、彼は大して酒を飲んでいないにも関わらず、その女子の太ももの上で寝ていた。
私は酒に弱く二件目で泥酔したため、フツーにソファで横たわっていたが、膝枕の彼と対角線上にずっと目が合った。
その女子とは連絡先も交換せず、何も発展しなかった。何だったんだと思う。
私が38歳の時に妻と結婚したが、結婚式をするとLINEを送っても、特に驚くことも質問もなく「うん、わかった」のみ。
結婚してから、初詣でしか会っていなかったのだが、40歳で突然、丸坊主になった。
禿げている訳でもないし、ファッションや好きなものを考えると違和感がある。
彼と会うと昔の自分のモードになってしまい、その違和感に突っ込めない自分がいた。
だから、坊主になって10年が経過しているが、いまだに、そこには触れていないので理由は知らない。
彼は、喜怒哀楽が元々なく、無表情で無機質である。彼が泣いた場面を見たことがない。
自慢話をしている時はテンションは高いが、目の奥は笑っていない。

相手をものすごく変わり者みたいに言ってるけど、あなたもほぼ同じ。
似た者同士やんかと思っていますよ。
でも20代の私は気づかなかった
彼の奇行を並べてみたが、20代の私は、彼が変だとは全く思っていなかった。
むしろ、気が合うと思っていた。
週末になると一緒にドライブに行き、半径200km圏内は行き尽くした。
行き先は全て私が決めたが、彼は何一つ文句を言わなかった。
「何も話さない」「詮索しない」「掘り下げない」関係が心地よかった。
なぜなら、それが私にとって「普通」だったからだ。
私の家族
私の父は鉄工所を経営していた。
早朝から深夜まで土日も休まず仕事をしていた。
終始、寝不足と慢性疲労、業務量過多のため、家にいる時はピリピリしていた。
私が言うことを聞かなかったり、食べ物を残すと、ゲンコツで殴られた。
私は父が怖かったので、会話の記憶はない。
母はADHD傾向で掃除や片付けができず、衝動買いもしてしまうため、父は常に怒鳴っていた。今も怒っている。
私は一人っ子で、まだ幼い私が怒鳴られているのを不憫に思い、母は私をいつも庇ってくれていた。
究極の核家族のため、小学校5年から結婚する38歳まで、両親とご飯を食べたことはない。
私は父から「うるさい、黙れ」「男のくせに泣くな」と怒鳴られたため、雑談をしない子ども、自分の思っていることを言わない子どもになった。
発達特性もあったと思うが、言語化能力が低かった。
人から質問されると答えが出なかったり、情報処理が追いつかなかったりで言葉が出ず、頭がフリーズした。
質問が恐怖だった。
高校や専門学校も、両親には相談せずに決めた。
父は何も言わず、金だけは出してくれた。
高校生の時は、小遣いが月10万円以上あった。
しかし、それが変だとは思わなかった。
妻曰く、フツーの家族は、大人になるにつれて話ができてくるようになると、両親の若い頃や学生時代、恋愛、職歴などについて聞くものらしい。
私は何一つ聞いたことがなかった。
興味すら湧かなかった。
私の両親は共に九州出身だが、何歳の頃に大阪に出てきて、両親の出会いや馴れ初めや最初にしていた仕事を聞き出したのは、妻が食事の場で聞き出したのが最初である。
38歳の時だった。
私は「え、そんなこと聞いていいの?」と驚いた。両親が楽しそうに昔話をしているのにも驚いた。
妻は「普通は聞くよ」と言った。
つまり、私にとって「何も話さない」「詮索しない」「掘り下げない」が当たり前だったのだ。
私の家族内でも行われていたことに気づいた。
だから、何も詮索しない彼といるのが、20代の私には居心地が良かったのだろう。

自分のルーツを知る番組やドキュメンタリーが好きだから、気になるはずなのに聞かないでいられたのが不思議です。
妻と出会い、カウンセラーになって
妻の実家は田舎で、いわゆる村社会だ。何でも情報共有する。
妻に彼のエピソードを話すと「その人、変じゃない?面白いけど」と言ってきた。
最初は受け入れられなかった。
しかし、私もカウンセラーや対人支援職に就くことで、会話を重んじる仕事をするようになった。
そうすると、それらの違和感にようやく気づき出した。
彼の会話がつまらない
彼の会話は、20代の頃と何も変わっていない。
主な話題は、両親や会社、同僚、上司の批判、またはテレビで見た受け売りの話。
「この店は不味かった」「銀行に行ったら並ばされてウザかった」など、こんな酷い目に遭ったという被害者ムーブのマイナスな会話。
または、高級な料理を食べた、高級な温泉旅館に行ったなどの報告。して欲しいと言ったことはない。
私は関西に住んでいるが、元地元を出て20年が経つ。
彼は今も地元で実家暮らしのため、地元のローカル情報を、隣近所の人に言う感じで言ってくる。
- 「彼の最寄り駅の踏切では、警察が一旦停止違反を見張っているから気をつけた方が良い」
- 「彼の家の向かいに住んでる、同じ小学校の女子の父親が亡くなった」
元地元の道を通ることは、彼に会う時くらいしかないため、完全に不要な情報である。
私は、そもそもその女子が誰かわからない。知らない人である。どう反応すれば正解なのか。
デリカシーのない発言
さらに、彼はデリカシーのない発言も多い。
15年くらい飼っていた犬が亡くなった時「なんか犬…死んだわ」と淡々と言ってきた。
私が猫を飼っているのを知っているにも関わらず「野良猫が庭に入ってくるので水鉄砲で撃ってやった」と誇らしげに言った後で思い出したかのように「猫、元気なん?」と聞いてくる。
小学校のクラスメートの男が俳優になり、朝ドラに出ていたと伝えても「あいつのこと知らんし」と素っ気ない態度。
私は発達障害と診断され、軽度のうつ病とも診断されたと言ったら「絶対にそんなことはない!」と的外れな共感をしてきた。
恐らく彼なりには気を遣ったのだろうが、私としては、診断されたことで適切な治療を受けられ、薬も処方され、むしろ生きづらさは緩和したという話がしたかったのだが、それを話せる余地はなかった。
その流れで「うちの会社でも、うつ病で休職した奴がいるけど、あいつら休み過ぎよな」と、うつ病の私に言い放った。

脳内で精査して話してないんだろうね。
確かにデリカシーがないとは思うけれど、NOツッコミできたから、自他境界線やお互いのモラルの感覚を理解してないままなんだよ。
圧倒的に対話が足りない典型的パターンです。
梯子外しとサイコパスエピソード
ここ3年くらい、彼の話題は実父の批判ばかりだ。
父は定年退職して15年以上経つが、特に趣味もなく、家でテレビばかりを見ていて、全く家事を手伝わない。
口を開けば、人の批判や嫌味ばかり言うだけで本当にウザいとのこと。
母はパートに出て、極力、父と一緒にいないようにしているらしい。
スマホの使い方を丁寧に教えても、父から感謝されたことは一度もない。
それどころか「お前がスマホを触ってから、おかしくなった」と文句ばかり言われる。
そして、昨年の夏頃、父が風呂場で倒れたらしい。
彼は言った。
「迷惑なジジイが、ついに死んでくれたと家族中が期待していたが、少し入院して帰宅したため、がっかりした」
私は、この流れで、「そんなモラハラ気質の親父なら、家族中から避けられたり、無視されたりしてるんじゃないの?」と突っ込んで質問してみた。
すると、彼は急に真顔になり「いや、それはない」と不機嫌になった。
50歳になって梯子を外される会話をされるとは思っていなかったため、逆に爽快であり新鮮に思えた。
彼は、自分が親に悪口を言うのは良いが、他人から言われたり、いじられるのは絶対に嫌なのだと確信した。
ツッコミ耐性がゼロとも言える。

自分が無視するような人に見られたくない。父以外の家族はそんなことをする人ではない。まして何十年も付き合いがあるならば、理解していて当然だろう。という根底の思想があるのではないかな…
質問と確認をしてこなかったから(定期)
彼の会話を分析してみた
彼の会話は全く洗練されていない。
語彙力も、言語化能力も、二十歳の時から変わっていない。
こんな鼻につくような話し方をしていたら、フツーは、特に女性兄弟や姉妹などから、ボコボコにツッコまれそうだが、ツッコまれることなく50歳まで来たのだろう。
彼は、私の話に対して被せてくる。マウントとも取れる発言をしてくる。
これは多分、意図的というよりかは天然だとは思うが。
私が妻と地元のフレンチのランチを食べに行った話をしたら、そこは掘り下げず、何年か前に高級ホテルでフレンチのディナーを食べた話をしてきた。
妻の実家のお持たせを買うのに最近は、デパ地下に行く頻度が増えたと言ったら、自分は毎週のように難波や梅田の百貨店に行き、デパ地下に行っていると言ってきた。
美術館や民俗博物館巡りにハマっていると言ったら「関西の美術館はしょぼい、東京の方が最先端だし、すごい」と言ってきた。
さらに「若い時にヨーロッパの美術館とか見てて良かったわ」と話す。確かにそうなんだろう。
ただ「えっ、これってマウントよな?」って、気づいてしまった。
さらに、わざわざ被せて話を奪う割に情報が薄いのだ。
また「チャットGPTっていいみたいやで」と年寄りに勧めるように言ってきた。
私が「何年か前から、文章作成にAIを使っている」と言っているにも関わらず。
彼は、事あるごとに、株主優待券が余っているから見たくない映画も見ないといけない、また関西万博には20回以上行ったと言ってきた。
その中で何が良かったか?と聞いても、映画は「面白かった」と答えるのみで、どの部分が面白いなどの具体性はない。
万博のパビリオンの話も、覚えていない感じだった。
ここで思ったのが、内容などよりも、株主優待券を多数持っている事実、万博に20回以上も行っている事実が重要なのであり、要は、ステータスが重要なのだと確信した。
彼の会話全般は、〇〇に行ったという話だけはしてくるが、そこでの描写や感想は、ほぼない。
彼からすると、その場所に行ったという事実のみが重要なので、中身は二の次という感じなのだろう。
その内容も、高級、高いという部分のみ。それが判断基準なのだろう。
高い金を払って得た中身は、大して重要ではないのかとも思えた。
だから、ステータスのみで生きているように思えた。
人の話を聞かない、受容しない。これは、やはり話す気を失くす。

何年か前に「フラッグを立てるように、行くことだけが目的の旅行はしんどいので嫌だ。行くなら観光やグルメとその土地を深く知りたい。」と私に言われていた側の人と同一人物とは思えない他人に厳しい分析ですね。
棚上げマスターの称号を与えましょう。
あと分析が甘い部分がある。
彼は女性家族との関わりが強いタイプなので、「本当に関連項目を共有するだけの雑談をしている」という目線が抜けていると思うな。
私も実家や女友達と「どこどこのお店のフォーが美味しかった」と話せば「そういえばカルディのフォーが美味しいよ」など細かい引っかかりのみがある情報共有(全員に必要では全くない)トークは繰り広げられる。
それは気を許したメンバー間で行うことが多いから、あなたが共感してくれたり、興味を持って聞いてくれたりするから話したいと思ってくれているのじゃないかい?
その掘り下げた先が「高いからいいと思った」という解像度がガビガビの答えが気に入らないんだろうけどさ。
わかるけども。掘り下げてこなかった人間の、はじめはそんなもんですよ。
私なりの反撃
彼は高級志向だが、批判的で入浴料が3500円のスーパー銭湯に行った話が、大したことなかったと言ってきた。
今年の初詣の帰りに、私は敢えて、いわゆる普通の銭湯に行ってみた。
もちろん、スーパー銭湯に比べて浴槽の数も少なく、またスーパー銭湯では絶対に見ない、刺青の人が数多くいた。
私と妻は、こういう非日常的なカオスな空間が好きなのだが、高級志向の彼は本当に心の底から嫌そうだった。
彼がジェットバスをしている両脇に和彫りの人たちが座ってきたが、彼の顔が引き攣っていた。
嫌がらせがしたい訳ではなかったが、喜怒哀楽の感情を現さない彼が、不快な顔は見せてくれた。
その表情が見られたのも新鮮で良かった。いい表情もさせたくなった。

私とあなたが楽しめる場所というのは、その後に「お互いの感覚や思ったことを語らう時間」を含めての楽しさなので、お友だちからするとハードすぎるでしょう。
TPOに合わせて行動や服装を変えるように、お友だちに合わせるのも大切ですよ。でないとお互いに楽しめないですから。
だから複数の友人がいる方がいいのです。
彼の発言は若い頃は許せたが
彼の発言は若い頃は許せたが、年齢を重ねて社会性を身につけてくると、一緒にいるのが疲れる。
私は、不器用なりにも、また職業柄、強制的に内省を求められるため、日常的に15年以上、自身の感情と向き合ってきた。
だから、少しずつだが、客観的視点も出てきたし、物事をフラットに見られるようにはなってきた。
発達障害なりにも。また、私は環境にも恵まれていたとは思う。
偏っていたり、おかしな発言には、妻であれ、職場の人であれ、バンバンツッコミが入る。
また、彼と話していて思うのが、議論が全くできないということだ。
自分の意見を肯定される以外の選択肢は彼にはない。
議論は、互いの意見の違いを認めた上で、でも、私はこう思うと主張し、相互理解していくことだが、彼は肯定される以外は不機嫌になるので、これも難しそうだ。
以上も踏まえて、20代の頃の自分は、こんな感じだったんだと、彼を通して思い出せた気はした。

よかったね。エモーショナルだね(違う)
でも一番社会から外れているのは私かも
彼の話がつまらないのは事実だ。しかし、私にも問題がある。
私が話せる雑談の話題が、あまりに限定的なのだ。
仕事(心理学)、カウンセリング、自身の内面を掘り下げた本音、自我、エゴ、エグい性癖、哲学的な話。
それ以外なら、コアなお笑い、怪談、民俗学、効率的な筋トレくらい。
それ以外の雑談は、つまらない話と認定し、聞く耳を持たない。
この排他的思想が問題なのだ。
さらに、私はお笑いライブに月に1度は通っており、最近は怪談のライブにも通っている。
そのため、話術、トークスキル、話の構成やオチなどについて、素人であれ、容赦なく厳しい。
自分の中にあるNSCの講師モードが起動し「えっ、その話、おもろいと思ってるん?」と言いたくなるのだ。
これが、私の中のヤバい点だとは思った。
私自身の今後の課題は、年に一度しか会わないが、彼の会話の違和感や矛盾点がある部分にツッコミを入れることだ。
て、いうか「フツー、年に一回だけって、変じゃね?」って一度くらい、ツッコむと思うが、フツーじゃないのでやらないのだ。
ただ、年々、会話が噛み合わなくなっている。
それは彼が変わったからではない。
私が変わったからだ。

いい気付きだね。本当に変われるあなたはすごいよ。
興味が限定しているのは個体差なのでいいと思うよ。面白いやん。
自分の知識は限定的でまだ知らないものはたくさんあって、いまの正しいものや間違いも人間も変容するものであるという概念を前提で持っていると生きやすくなると思う。
色んな事に積極的に関心を持たないとそのまま固定概念が癒着して老害になるのは嫌だからさ。積極的関心のなんちゃらやで。
相手のダメな部分を見て「減点法式」で考えても意味がないと私は思うな。
その人と一緒にいる時間というのは、自分の時間を使っているのだから有意義に出来た方がいいと思う。
おもんない時間に自分からするの理屈が合わないし、相手がダメだと責めるだけでは発展性がない。
おもんない奴を泣き笑いさせる男であって欲しいよね。我がパートナーは。
あとお笑いを見に行っている観客なだけで、我々は芸人さんではないから、NSCの講師目線は痛いどー!!!
【この記事を書いた人】
経験と専門性
- 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
- ASD・ADHDの混合型診断済み
- モラハラ加害者としての更生を実現
- 週刊文春オンラインでの3記事の連載で加害者心理と更生過程を完全公開
臨床経験(2010年〜)
カウンセラーとして幅広い支援経験
- 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
- 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
- うつ病の方の復職支援
- 元受刑者・薬物依存者への更生支援
- ひとり親・DV被害者相談
- 企業内パワハラ相談
- 自助グループ・セミナー開催
メディア掲載実績
新聞・雑誌掲載
- 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
- 産経新聞(2021年9月)
- 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
- 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
- ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)
テレビ・ラジオ出演
- NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
- KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)
全国12媒体でモラハラ解決の専門家として紹介
モラハラの問題で苦しんでおられる方々の少しでも力になりたいと思っています。
まとめ
最後まで読んで頂きありがとうございました。
今回は、40年来の友人を通して、自分の20年間の変容を振り返ってみた。
彼が変わったのではない。
私が変わったのだ。
機能不全家庭で育った私にとって「何も話さない」「詮索しない」「掘り下げない」が当たり前だった。
だから、彼とは接しやすかった。
しかし、妻と出会い、カウンセラーになって、違和感に気づいた。
また、20代の頃は少しでも嫌なことがあればすぐに縁を切ることばかり繰り返していた。
メンヘラ丸出しである。
妻との関係が恋愛時代から20年以上続いているのは「嫌な部分や、受け入れられない部分がある度に、その都度、話し合ってきた」のが大きいと思う。
そうすることで、自分との違いを理解し、バウンダリー(境界線)を、発達障害なりにも身につけてきた気はするのだ。
これらができるようになることで、パートナーのみではなく、会社員としても続けられるようになった。
これは、社会性なり、協調性という部分とは思う。
これは加害者としての変容プロセスでもある。
自分の中の「普通」が、実は普通じゃなかったと気づくこと。
そして今、私のASD特性は悪化し、限定的な話題しか興味が持てなくなっている。
自分がどんどん社会から外れていくことに気づくこと。
それが、変わるための第一歩なのかもしれない。
追伸
多分、私が彼より先に死んだとしたら、妻が彼に連絡をし、特に悲しむことはなく「あっ、そうなんだ」という反応で、香典を持ってきそうな気はする。
特に泣くことはなく。
来年も彼と初詣に行くだろう。
他の友人よりはマシだし、遠出にも付き合ってくれるから。
唯一の友人だから。
モラハラで苦しんでいるあなたへ
私たち夫婦も、かつては離婚寸前まで追い込まれました。
しかし諦めずに夫婦で協力し、モラハラの問題と真正面から向き合い、解決することができました。
現在は幸せに暮らしています。
すぐに離婚だと諦めないでください。解決への道は必ずあります。
私たちがどのようにして危機を乗り越えたのか、被害者妻と加害者夫の両方の目線でリアルに書いています。
被害者の視点から学ぶ
もし「記事は理解できたけれど、うちの場合はどうすればいいのかわからない…」と感じているなら、一人で抱え込まず、ぜひ私たちにお話を聴かせてください。
現在、LINE登録をしていただいた方には、初回特典として無料相談(50分)をプレゼントしています。下記からお気軽にご登録ください。
小さな一歩が、大きな変化を生むこともあります。
あなたが少しでも穏やかな毎日を取り戻せるよう、心から願っています。


