元モラハラ加害者の本音|私の加害性の変容と妻への感謝
この記事は「元モラハラ加害者の本音」シリーズの第3回(最終回)です。
これまでの記事では、モラハラ加害者だった私の歪んだ思考を書いてきました。
また、これまで加害者変容のためのセルフワークとして、ジャーナリング、バウンダリー(心の境界線)の引き方などの方法を記事にしてきました。
しかし、今回の記事は、それらとは異なります。
この記事では、私が先輩カウンセラーから実際にされた内容、つまり、私たちが現在の支援で加害者の方にしているカウンセリングの内容を、リアルに書いています。
臨床心理士のカウンセリングやアンガーマネジメントセミナー、自助グループへの参加だけでは、私の加害性は全く治りませんでした。
先輩カウンセラーが2年間、毎日、私の本音を言語化し、受け取りやすい言葉で伝えてくれたことで、初めて変われました。
そして、言語化能力が上がったことで、妻と初めて対話ができるようになり、お互いを尊重できる関係になっていきました。
この実体験を、現在は加害者更生プログラムとして構築し、実際に再現しています。
長くはなりますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
※この記事は、加害性が強く、攻撃的で生々しい描写が含まれます。
フラッシュバックや不快感を覚える可能性がある方は、ここで読むのを止めることをお勧めします。
まとめ
- 妻から「あなたはモラハラだ」と言われる
- 発達特性ゆえの激務
- 精神科の受診・適応障害の診断・休職
- 再就職
- 改善したと思っていたモラハラが爆発した
- 先輩が寄り添ってくれた
- 言語化能力が低かった私
- 先輩は、私の感情を言語化してくれた
- 地道な復習作業とジャーナリング
- 妻と対話できるようになった
- 発達障害の診断とメニエール病、人生観の変化
- 妻への感謝
- まとめ
妻から「あなたはモラハラだ」と言われる
妻との共同生活への不満を抱えながらも、私は毎日、深夜まで働き続けていた。
体調が悪くても、必ず出勤した。
毎日4時間の残業は当たり前、終電で帰ることも多々あった。
帰宅後と週末は全て自営業に充てていた。
会社では恥をかきながらも、妻のために、家族のために、身を粉にして働いていた。
そんな矢先、妻から突然「もう、あなたと一緒にいるのがしんどい」「あなたがしていることはモラハラだ」と言われた。
これを言われた時に、私がまず思ったことは「何で、そんなことを言われないといけないんだ」である。
私は妻のために、会社で恥をかきながら、来る日も来る日も毎日、終電まで頑張って働いているのに。
それどころか、妻自身も、家事も金銭管理も体調管理もできていない。
- 何なら、俺より金も稼いでいないくせに
- 何で、そんなことを言ってくるんだ?
- 何で、そんなことを言える立場なんだ?
- 自分のことを棚に上げて、よくそんなことが言えるよな?
と、矢継ぎ早に怒りや不快感が爆発したのを覚えている。
私からすれば、妻から酷いことを言われたため、口も聞きたくなくなり、数日間は顔を合わさず出勤し、無視をしていたと思う。
発達特性ゆえの激務
当時、私はキャリアカウンセラーとして、大学生の就労支援をしていた。
しかし、ADHD特性のため言語化能力が低く、コミュ障であるため、仕事を振られても断れなかった。
そもそも発達特性上、事務仕事が向いていない。
なのに、仕事ができない奴と思われたくない、嫌われたくないという思いから安請け合いをしていた。
マルチタスクが苦手で、ワーキングメモリも少なく、自身のキャパシティも理解していないため、当然ながら締切に間に合わず、残業しないと処理できなかった。
そのため、同僚や先輩に手伝ってもらうのが日常茶飯事だった。
幸い、私のように事務仕事ができない人が3、4人おり、私だけが目をつけられることはなかった。
それでも後半は、かなり体力的にキツくなり、帰宅すると気絶するように寝落ちし、また会社に行くという日々を繰り返していた。
精神科の受診・適応障害の診断・休職
妻から、心労のため精神科を受診したことを聞いた。
私も慢性的な睡眠不足や過労に加え、妻から言われたことを考える度に動悸が激しくなり、まともではないと思っていたため、精神科を受診した。
Wワークの現状などを伝えると「働きすぎだ」と言われた。
適応障害と診断され、休職した方が良いと言われたため、会社員も自営業も止めて、病気療養をすることになった。
少し回復してきたので、モラハラと言われたことに対して行動を起こした
- 精神科併設の臨床心理士のカウンセリングを受けた
- アンガーマネジメントのセミナーに参加した
- 自助グループに通った
- 他人に気持ちを吐露する行為に少しは慣れた
- うつ状態で動けない中でも、これだけのことをやった
自分では、知識を学んでいる感や、自分の気持ちを他人に言えた感などで、できた気、分かった気になっていた。
要は、自分のモラハラというものは、それらでほぼ解決した気持ちになっていた。
自分なりには、モラハラと言われたことに対して、ちゃんと向き合ったと自負していた。
再就職
休職期間を経て、次の職場は残業の少ない公的機関を選んだ。
医師から「働きすぎ」と言われたため、今度は無理をしないようにと思っていた。
改善したと思っていたモラハラが爆発した
臨床心理士のカウンセリングや自助グループ、アンガーマネジメントセミナーなどで、自分のモラハラ体質は改善したと思っていた。
しかし、全くそうではなかった。
妻の自立を目の当たりにすることで、以前よりも物凄いストレスがかかり、爆発した。
先輩が寄り添ってくれた
妻への日常的なストレスに加え、発達特性ゆえに新しい職場への適応能力が低く、常にストレスがMAXだった。
そのイライラを聞いてくれたのが、職場の先輩カウンセラーだった。
先輩は、熟練のカウンセラーで、私の全ての悩みに献身的に対応してくれた。
ただ、これだけを伝えると、このような特殊で且つ恵まれた環境だから、あなたは加害性を改善できたのだろうと思われるだろう。
私についてはそうだった。
しかし、私は、この実体験を元に、リジェネの特に加害者プログラムを作ったのだ。
また被害者プログラムについては妻の実体験がワークになっている。
これらは自己理解のフェーズだが、夫婦プログラムは、双方が対話できるスキルを獲得し、その上で相手理解、相互理解、つまり対話ができるようになった状態をプログラム化している。
言語化能力が低かった私
以前の私は、自分の感情を言語化することができなかった。
自身の感情を理解するには、自身の中のモヤモヤを言語化できないといけない。
それを行うのにも、最低限の語彙力が必要になる。
私は、その能力が格段に乏しかった。
なぜかと言うと、自身の思考や感情を表す会話などを、友人とも、仕事でも学校でも、人生で一度もしたことがなかったからだ。
また、自分の周りにも、そのような会話をする人はおらず、表面的な会話ばかりで、深みがなかった。
ジャーナリングをしようとしても、何も出てこなかった。
自己啓発本や文章の書き方の本をかなり読んでいたが、全く使えなかった。
この理由は、世の中の文章の書き方の本というのは、文法や表現方法などの技術論がほとんどであり、それらを表現するための自分の感情や思考の引き出し方については、書かれていないからだ。
紙とペンを用意しても、PCの前に座ろうが、何にも出てこない。
映画やドラマ、音楽やお笑いのライブを見て、スゴイ、良かった、面白い、反対に、そんなに、つまらないとは身体反応的には出てくるが、それの何がスゴイのか、と一段階掘り下げた質問になると答えられなかった。
だから、私は、自分で自分の感情や思考がわかっていなかった。
先輩は、私の感情を言語化してくれた
-
「妻が、しょっちゅう実家に帰るんですよ。ムカつくんですよね」
-
- ムカつくって、具体的にどういう感情?
- 私は言葉に詰まった。
- ムカつくって、一人が寂しいから?
- また、ある時は、こういう質問もあった。
- 何で、奥さんは実家にしょっちゅう帰るのだろうね?
- 奥さんも、もしかしたら君と同じように寂しいんじゃないの?
-
「友人と会うと毎回、泥酔して帰ってくるんですよ。ありえないですよね」
-
- そっか、そりゃありえないよな。
- でもさ、泥酔すると何で嫌なの?
- 奥さんの体を心配してるから?
-
「妻は喘息持ちなのに、全く体調管理をしないことに腹が立つんですよね」
-
- そっか、何で体調管理をしないことに腹が立つの?
- やっぱり、奥さんに健康で長生きして欲しいから?
- ずっと、一緒に居たいから?
-
「出しゃばりな女が本当に嫌いなんですよね」
-
- そっか、お母さんは、そんなタイプじゃなかったの?
- 「はい、母は、父に対して従順で父を立てるタイプでした」
- そっか、それってさ、奥さんにも、お母さんと同じことを求めてない?
このように、先輩は、最初は私の怒りや不満に寄り添いながらも、私の一次感情、本音の部分を言語化して直面させたり、ある時は妻の気持ちを想像させるなど、私に大きな気づきを与えてくれた。
もちろん、最初から、これらの一次感情を受け入れられたわけではない。
先輩の言うことが、毎回グサグサ突き刺さるし、本音を認められないし、受け入れられないし、また怒りも湧いてくるため、物凄く葛藤があり、私が不機嫌になることも多々あった。
ただ、それでも先輩は付き合ってくれた。
地道な復習作業とジャーナリング
私は、帰宅時に毎日カフェに寄り、先輩から学んだことを紙に書いて復習し、自身が感じた些細な感情も必ず言語化していた。
この地道な復習作業とジャーナリングの継続により、自分の感情を具体的に言葉にする能力が身についていった。
また、怒りの下にある本当の感情に気づけるようになり、論理性も身につき、物事を鵜呑みにせず、一旦は自分の頭で考えるようにもなった。
お互いの意見を否定せず、議論をするということを初めて理解でき、その楽しさを体現できたのは、その後の私の人生において、かなり貴重で有意義な経験になった。
発達障害の私に理解できるように合わせてくれた先輩には、毎日、歪み切った私の話に、よく付き合ってくれたなと、しみじみと思う。
40代になって、そんなことを教えてくれる人なんて、まずいない。
本当に有難い。
妻と対話できるようになった
ここで論理性や言語化能力が上がったことで、妻と対話できるようになった。
自分の思考や感情を伝えられるようになり、妻に対しても理解する質問が出来るようになった。
これは先輩が私に寄り添ってカウンセリングをしてくれたことが、私から妻に対しても行われ、結果的に妻のことをより深く理解でき、妻自身も自己理解が深まり、妻のイライラも減っていった。
私の加害性が緩和し、社会性が身についたのは、妻も言語化能力が上がり、私のおかしな点についてツッコミが入り出した点である。
例えば、私と親との会話、私と旧友との会話や関係性が明らかにおかしいと。
以前の私は、そんなことを言われたら、批判と捉え、ブチギレていたと思うが、私も人の意見を聞ける耐性がついてきたことで、聞けるようになった。
妻のツッコミは、ハッキリ言って雑なのだが、でも芯を食った表現なので、ASDでもある私には響きやすいのだ。
逆に、遠回しに含みを持たせた言い方をされても、ASD要素もある私には、読み取るのが難しいし負担になる。
以前は、妻が何か言うと即座に怒りで反応していたが、今は一旦立ち止まって、妻が何を言いたいのか、なぜそう言うのかを考えられるようになった。
妻も、私が変わったことで、少しずつ心を開いてくれるようになった。
私は現在も妻にだけは、自分のことを理解して欲しい感情が強く、共に仕事をしているため、意見がぶつかることもあるが、その場合は、一旦、その場から離れて、一人になって頭を冷やして考えるという対策を取っている。
これにより、以前のように怒りを引き摺らず、処理できるようになった。
発達障害の診断とメニエール病、人生観の変化
現在は発達障害であるASDとADHDの混合型と診断され、障がい者手帳も所持しているが、この点でも私はかなり生きやすくなった。
脳機能的に自分の出来ることと出来ないことがより明確になり、出来ないことについては、はっきり出来ないと言って他者に依頼することに躊躇がなくなった。
また、メニエール病で救急搬送され、寝たきりになった経験も人生観が変わった大きな要因だ。
時間は有限であり、いつ倒れるかわからない、残りの人生で出来ることは無限ではないことを自覚したため、1日1日を悔いなく生きようと思った。
だから、特に人間関係については、自分が本当に会いたいと思う人としか会わない、自分自身に嘘をつかない行動を取ろうと思った。
私にとっての対等な関係性とは、お互いが我慢をしない関係性である。
それらの基準が私の人間関係においての、重要な価値観だと気付いてからは、その基準を元に付き合いをするかどうかを決めている。
妻への感謝
ここまで書いて過去の自分の言動を振り返ってみて、改めて自分の偏った、歪み切った思考や認知には、気持ち悪さで反吐が出るばかりだ。
2009年からカウンセラー業務を行い、日常的に自身の感情を整理するためにノートに書き殴っていたが、モラハラの最中のノートは読んでいられない。
恨み、辛み、罵詈雑言で、旦那デスノートレベルである。
少し気に入らないことがあると怒り出し、うるさい子どもや、それを注意しない親は今も嫌いだが、当時はコンビニの店員や、カフェの横でうるさく喋るババアや、デリカシーがない人など、ありとあらゆるものに怒り倒していた。
よくも、まあ、これだけ他人のせいばかりにして、迷惑ばかりかけて生きてこれたなと思う。
自分が絶対、正しいと信じて疑わず、その正しさを武器に、人々をジャッジしていた。
我々リジェネは2015年からモラハラ解決専門を行い、その中には様々な加害者もいましたが、私自身は間違いなくモンスターレベルの加害者だったと思う。
世の中の被害者妻なら、私との会話の通じなさに、とっくに耐えきれず、かなり初期の時点で離婚されていたと思う。
これまでの私の人生において、一番ラッキーだったのは、妻がこんな私に対して、どこまでも寛容だった点である。
ここについては本当に感謝でしかない。
まとめ
今回は、モラハラと言われた後の私の行動、先輩との対話で変わっていった過程、妻と対話できるようになるまで、そして妻への感謝について書きました。
臨床心理士のカウンセリングやアンガーマネジメントセミナー、自助グループだけでは変われなかった私が、先輩の2年間の手厚い支援によって、初めて自分の本音に気づき、言語化能力を身につけることができました。
そして、言語化能力が上がったことで、妻と初めて対話ができるようになり、お互いを尊重できる関係になっていきました。
完璧ではありませんが、以前のように怒りを引き摺ることはなくなりました。
このシリーズを通して、モラハラ加害者だった私の歪んだ思考、そして変わっていった過程を、可能な限り言語化しました。
モラハラの問題は、お互いの体質を改善すれば、完治まではいかないが、必ず緩和します。
共存できるレベルまでにはなります。
私たちが、その証明です。
今後は、これらをまとめたものを書籍化する予定です。
モラハラで苦しんでいるあなたへ
私たち夫婦も、かつては離婚寸前まで追い込まれました。
しかし諦めずに夫婦で協力し、モラハラの問題と真正面から向き合い、解決することができました。
現在は幸せに暮らしています。
すぐに離婚だと諦めないでください。解決への道は必ずあります。
私たちがどのようにして危機を乗り越えたのか、被害者妻と加害者夫の両方の目線でリアルに書いています。
被害者の視点から学ぶ
もし「記事は理解できたけれど、うちの場合はどうすればいいのかわからない…」と感じているなら、一人で抱え込まず、ぜひ私たちにお話を聴かせてください。
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